(仮題)原子力話

アメリカ軍が広島県上空から
核兵器の一種である原子爆弾を投下して
本日で67年が経ちました。

これは核兵器が人に対して
最後に使用されてからの月日も意味します。

投下された日というのは人類の文化や生活に密接する
科学というものの歴史において、
在り方や使い方を考え改善していく上で
重要な日だと思います。


同じく原子力という話において、
日本では東北地方にて起きた震災に関連して起きた
原発原子力発電)の事故により、
原発の必要性を問われたりしています。





この件に関して、おそらく初めて私見を述べる事になりますが、

私は、原発の必要性を問う有様を
不愉快で短絡的な光景だと思います。


どんな物でも、利用していたら事故というものは起きたりします。
普通は事故の原因を踏まえ
改善しながら利用し続けるものなのですが、

今の原発の必要性を問う有様には、
改善しようとする考えが微塵も感じられない。


自動車事故が起きたから自動車の必要性を問う。
何かしらの機械で事故が起きて、
人が犯してしまった予期せぬ過ちなのに、
機械を問題視しているという、ふざけた短絡思考ですよ。

他にも、放射能に関して過剰に反応しすぎだと思います。
放射能検出に関しても解せない点も多々ありますし、
福島県や東北地方にまつわる風評被害
短絡的な過剰反応が原因ですからね。

あれだけの広範囲での強い震度を観測しましたから、
パニックになるのも
多少はやぬおえない気もしますが、
原発を危険視している人間は
いい加減に目を覚ませよ、と言いたくなります。





世の中には危険で慎重に扱わないといけないような
薬品や化学品というのは多数あります。
それによる事故というのも起きたりもします。

しかし、事故が起きても原因を踏まえて
さらに安全に利用しようと改善するわけですよ、普通は。
なのに、危険だから使うべきではないと考えるだろうか?

火も充分危険ではあるが、人は長らく使い続けている。
事故により火で火傷等の怪我をしても
普通なら、より安全に使用できるように人は改善していくが、
火に対して必要性を問うことはありません。

危険性があっても使い続けているものは多々あるんですよ。

改善しながら使い続けているんです。




以上です。