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試合で応援するところが負ける。
当然ながら嬉しくはない、不愉快だ。
対戦側の勝利を喜ぶことは全くないだろう。


だが、対戦側の負けを望みたくもない。
負けを望んでその通りに対戦側が負けたとしても
俺は喜びたくはない、
そんな陰気な喜びはほしくない。
こんな陰気な喜びをほっしていたら俺は成長できない。
俺はもっと成長したいもっともっと。
可能な限りを自分を良くしたい。


勝った対戦側を応援する気はないが
ふがいない試合もしてほしくはない。
負けたことに納得がいくくらいの健闘がないと
こちらも気が済まない。



あー、学生時代の卓球の大会を思い出すわ。
試合で勝った相手にさ、俺の代わりに上に行くんだから
俺が納得するような戦いしろよ、とか思ったね、懐かしいな。

んで、勝った奴は次に負けんだよ、
ふざけやがってとか思ったね。



卓球での経験が自分を良くしたい高めたい
という感情を駆り立てる。
あくまで全てはなく一部であるが俺を駆り立てる。


卓球は個人の戦いが基本だが俺の場合、個人戦じゃ意味がない
あれは強かろうと弱かろうと出場できる。
団体戦にこそ意味がある。

強豪校のエースとして団体戦に出場。
卒業して何年も経つ今でもそういう事をたまに夢見る。